WindRose

音楽とか映画とか

映画のワンダー

 映画が好きでわりとよくみる。アメコミからミニシアター系まで。アカデミー賞受賞とか言われたらなんとなく、どんなものか気になって見に行く。ミーハー心。

 そしてこの映画界隈で常に議論されるのが日本での宣伝手法について、だ。
アイドル、芸人、芸能人が何やら宣伝大使に選ばれたり声優初挑戦をしたりしている。日本版応援ソングなんてのもある。
映画ファンにとってはたまったもんじゃない!と言い、普段映画を見に行かない新規顧客の獲得のためだ!と関係者は言う。

 普段映画を見に行かない人達をいかに引き込むか。それは売り込む人にとって重要なことなのはわかる。それはもう代理店やら頭のいい人達が「この有名人を使えば、何歳のファンがおおよそ何人いるから、そこから何割が映画館に足を運ぶだろう」と涙ぐましい分析や会議を行い決定したのだろう。それもわかる。
実際にそれがきっかけで映画館に足を運ぶひともいるだろう。

 ただ、そこに愛はあるのかい、といいたい。愛だけじゃプロモーション、ビジネスは成立しないのはわかっている。キャッチーさが必要なのもわかっている。けれど、この人が歌ってるから行こうでは、作品の良さやストーリーの真意や意図や俳優達の演技までは伝わらないのではないかと思うと、それはもう悲しい。


 最近コピーライターの人の話を聞いた。その人も「普段から買う人はいい、買わない人をいかに買わせるか」が重要と言っていた。そのために分かりやすい、キャッチーな言葉や目を引くビジュアルが作られる。

 例えばそこらへんに歩いている映画好きな人が「この作品はこれだけ素晴らしくて云々かんぬん」というよりかは評論家の人が「この映画は素晴らしい!」と一言いうだけでその作品の印象は違う。
 しかしながら全然映画をみない人にとっては映画評論家すら知らないのである。アイドルが声優とか、好きな曲がちらっと流れることによってしか関心が生まれない。

 どうしてこうなってしまったのだろうか。これは日本だけなんだろうか。

  要因の一つにあるのは私たちが即時性を求め、わかりやすさという魔力に浸った結果なんじゃないかなと勝手に思っている。動画、画像、SNS、、、、あらゆる情報が素早くかつ大量に手元に届く現代だからこそ、一つのコンテンツに対する思考の深度が薄くなってしまっているのではないか。作品の意図や背景を考えず、キャッチーな上すべりの言葉や宣伝で踊ってしまう。

 私たちがコンテンツやモノの消費の姿勢を根本から見直さない限り、このテイストオブ苦虫のようなプロモーションはなくならんのだろうなと思う。

(ワンダーウーマンのドジっ子設定は誰が得するんだろう。)